ミチコ・ロンドンのルーツ★コシノ3姉妹+母ちゃん物語
- 2015-11-07
MICHIKO LONDON
日本が誇るファッションデザイナーコシノミチコさん
ミチコロンドンというブランドを作ったコシノミチコさん。
スポーティーでロンドンのストリートカルチャーをファッションに取り入れ、発信するブランドです。
ロンドンでもクラブを中心に大ブームを巻き起こした日本が誇るデザイナーです。
出典先:http://www.laforet.ne.jp/limited_shop/michiko1510/
ドラマにもなりました
コシノミチコさんは、2011年度下半期「NHK連続テレビ小説 カーネーション」のモデルとなった日本ファッション界の第一人者、故・小篠綾子(コシノアヤコ)さんの3人姉妹の3女です。
コシノ ヒロコ・ジュンコ・ミチコのファッションデザイナー「コシノ3姉妹」のひとりとして活躍しているのは有名な話。
今回のテーマはミチコロンドンのルーツですが、合わせてコシノ3姉妹と、その母であるコシノアヤコ氏について調べてみました。
<参考図書>
だんじり母ちゃんとあかんたれヒロコ(コシノヒロコ著)
やんちゃくれ-コシノのお母ちゃんと三姉妹の奮闘記-(小篠綾子著)
(以下敬称略)
ファッションデザイナー・コシノ3姉妹のルーツ
偉大な母ちゃんストーリー
ミチコロンドン、コシノミチコという人物について調べると、コシノ3姉妹が出てきます。
そしてコシノ3姉妹について調べると、3姉妹の母ちゃん「アヤコ」の存在が強烈に浮かび上がってきます。
出典先:http://kyotocf.com/naked-eyes/ガァーガァー言わんと放っておくことですよ/
<以下、参考図書のあらすじをまとめましたのでご覧ください。>
父の川崎武一氏は、ミチコが母ちゃんのお腹にいるとき、戦争で召集され戦病死しています。
母ちゃん(コシノアヤコ)は戦後、3姉妹を女でひとつで戦前から経営していた洋装店を経営しながら育てました。
★きっかけは、好奇心
ミシンが珍しく、好奇心旺盛の母ちゃんは若い頃、ミシンの作業所に毎日通う。
いつしかミシンに触りたいと思うようになるが、男ばかりの職場なので、頑固な父(3姉妹の祖父・呉服屋を経営)に反対された。
しかし、この3姉妹の母ちゃんも負けない。
結局折れたのは父の方で、
母ちゃんはミシン縫いに奉公することになる。
しかし解雇されるとこんどは、反対していた父がミシンを購入。
その当時のミシンは超~高額だ。
母ちゃん「これだれの?」
父「誰のかな?知らん」
素直じゃないけど、応援してるんですよね。娘の好奇心。
★見よう見まねで作れるカンとセンス
話は飛びますが、大きな紳士服店に行かされます。
そこで、お客さんに「イブニングドレス」を注文され、ファッション誌を見ながら、裁断がわからずにお客様の体に布を巻きつけ、裁断。
すると、この手法、オートクチュールの本場、パリの立体裁断と同じだったのです!
仕事に対するカンがいいんです。
★仕事、仕事、仕事に情熱を燃やした母ちゃん
父の呉服店の敷地に、自分の店、コシノ洋装店を開くまでになった母ちゃん。
婿に来たいという男性と結婚。その男性もテーラーの仕事をしていました。
出典先:http://blog.goo.ne.jp/geelongplenty/e/70939c10d5a2dbdd8da5880a3e1ead31
長女ヒロコが生まれ、次女ジュンコが生まれ、
それでも母ちゃんは働き続けます。
親の背中を見て育つ娘達。
ミシンを踏む姿、布を裁断している姿。
結果、母の背中というよりも、洋裁の先生の背中を見ている状態になったらしいです。
★女で一つで3姉妹を育てる
旦那さんが戦死し、父も亡くした母ちゃん。3姉妹を育てるため、戦時中も品薄の中、布地を買い集め、仕事をする母ちゃん。腕がある。技術があるって強いです。
戦争が終わり、母ちゃんはますます仕事に情熱を傾けます。
子供達はかまってもらったこともなく、とても寂しい思いをしていました。
しかし、人前に出るときは、必ず可愛い服を徹夜で仕上げた母ちゃん。娘たちは誰も持っていない、素敵な洋服を着ることができ、幸せを感じていました。
★習い事は大賛成!
習い事も沢山させた母ちゃん。
理由は?
子供達を家から追い出すこと。
母ちゃんにかまってほしい子供達と、子供がいると仕事がはかどらない母ちゃん。
それで、習い事すれば外に行ってくれ、仕事に集中できると、
いろんなお稽古事を子供達に習わせました。
しかし、本心では子供に申し訳ないと葛藤がありました。
一家の大黒柱なのです。母親はもとより、父親の役目も果たさなければならなかったのです。
★恋する母ちゃん
母ちゃんが30代を過ぎた頃、ふと、働きづめの人生を振り返ったらしく、
夜遊びに目覚めてしまう。そして不倫。。。
勿論最初は妻子ある男性とは思っていませんでした。
しかし、どうしても抑えきれない恋だったのです。親戚に責められる母ちゃんを子供が泣いて守ったそうです。子供達、大人です。
のちに、母ちゃんは著書で、子供に非難されたら、この恋は終わる予定だったと書いています。
20年、ほとんど夫婦のように過ごしたこの男性を、
子供達は「おっちゃん」と呼んで慕ったそうです。
その影で、長女はおっちゃんの娘になじられ、イジメも受けていました。
母ちゃんがそれを知ったのはずっと後、子供達が大人になった時でした。
★子供の学校を決める理由
「あそこの学校の制服がかっこいいから」この学校へ行けと、長女ヒロコは本に書いてありますが、母ちゃんの本には、美術の才能を感じたヒロコに、頑張ってほしくて決めたとあります。
2冊の本を読み比べて、親の心、子の心が微妙に違うのが面白かったです。
★長女ヒロコがデザイナーになるまで
美大に行きたかった長女ヒロコ。
しかし反対され、家で一ヶ月ゴロゴロすることに。
母ちゃんの勧めで洋裁学校に行くことになる。ヒロコの著書にはこうありました。
しかし、母ちゃんは著書で反対はしていないのです。
ただ、浪人は許さないと、覚悟を迫ったそうです。
結局そこまでの覚悟が長女ヒロコにはなく、受験を諦めてしまいました。
ヒロコは洋裁が大嫌いだった。
しかし、美大に通いたいほど絵は好きだったので、スタイル画の授業があったので洋裁学校に通うことができました。
★3姉妹の関係は?
長女ヒロコと次女ジュンコは年も近く喧嘩ばかり。
三女ミチコは年が離れていて小さくて可愛がられていました。
ヒロコとジュンコは取っ組み合いの喧嘩をするぐらいお互いをライバル視。
ヒロコが目指したようにジュンコも美大を目指し、最後は洋裁学校を選ぶというコースは姉妹そっくり。
常に自分の才能が上だと思っていた長女ヒロコは妹がファッション業界の登竜門と言われる賞を獲ったことで虚無感を味わうが、妹は姉を気遣う大人になっていました。
左:長女ヒロコ、中:次女ジュンコ、右:三女ミチコ
出典先:http://www.fashion-press.net/news/gallery/2360/28427
★ファッションデザイナーになったヒロコとジュンコ
60年代半ばの、ファッションが面白くなってきた時代。
ミニスカート、ロングブーツ、ビートルズが着ていた細身のモッズスーツ。
ヒロコは「クチュールコシノ」を
ジュンコは「COLETTE」をオープンさせる。
★三女ミチコは突然ロンドンへ
年の離れた末っ子のミチコはテニス少女。着るものにも無頓着。
「服飾科」を「副食科」だと思うほどの天然ぶり。
大学時代ソフトテニスで全国1位になったあとは、急に洋裁店を手伝うと言い、家族をびっくりさせる。
結婚するものの離婚し、今度はロンドンへ。
ロンドンを選んだのは、パンクなどが流行り、若者の服を作りたかったのでパリでもミラノでもなく、ロンドンに行ったと言われています。二人の姉と違う地域に行きたかったとも言われています。
なんの知識もなかったミチコ。
本当は姉ヒロコが付き添って一緒に行くつもりだったのに、空港で置き引きされ単身ロンドンへ行くことになりました。母ちゃんはとても心配したそうです。
もたせた大金を数ヶ月でまわりの人にたかられ、すっからかんに。
母ちゃんはいろいろ食材を抱え、ロンドンへ渡るも、お金だけは工面しなかったそうです。工面したらまたたかられる。援助したかったけど、心を鬼にしました。そこで三女ミチコは踏ん張りました。
★母ちゃんは3姉妹を力強くバックアップ
3姉妹はお金がないと母ちゃんに泣きつき、母ちゃんは必死に働き工面する。
ほんとうにたくましい母ちゃんです。
べったりとした愛情ではないけれど、必死に働くことで、愛情を示しています。
★3姉妹を育てた母ちゃんのモットー
「3姉妹仲良く」とは決して言わない。その代わり姉妹の尻を叩き続けた。
姉妹のコレクションには国内でも海外でも必ず駆けつけた。
そしてそれぞれの内容を決して他の姉妹に話さない。
娘達へ、母ちゃん流の気配りだった。娘達もそんな母ちゃんを信頼していました。
★母ちゃん入れてコシノ4姉妹?
エネルギッシュで若々しい母ちゃん。
3姉妹ではなく、4姉妹と世間で言われることも。そしてなんと70代で自分のブランド「アヤコ・コシノ」を立ち上げたのです。
出典先:http://kishibura.jp/blog/umeda/2011/07/post-207.html
★パクリをしても悪びれない
「アヤコ・コシノ」のデザインは3姉妹のパクリ。
母ちゃん曰く、「3姉妹を生んだのは私だから、もとをたどれば私の作品」
3姉妹はというと、お互いそれぞれに似たものを作らないよう、
独自の路線を確立して頑張ってきた。
それを最後に母ちゃんはいいとこどり。3姉妹は逆らえない。
★デザイナー精神は、孫世代へ
コシノヒロコの次女は、アラフォー世代のリアルクローズ「ユマ・コシノ」を立ち上げ、自分の娘に引き継ぐという。(写真:YUMA KOSHINO)
出典先:http://blog-yokohama.takashimaya.co.jp/ladies/201409/article_8.html
母ちゃんから始まったファッションデザイナー精神は
確実に後世へと引き継がれています。
YUMA KOSHINO公式サイト:http://www.yumakoshino.com
出典先:http://www.rbbtoday.com/article/img/2014/02/10/116763/372789.html
ミチコロンドン(MICHIKO LONDON)及び、コシノミチコ
★デザイナーになるまで
小篠 美智子(1943年1月29日 生まれ )
1973年(昭和48年)にイギリスへ渡る。
ロンドンを拠点に活動し、「ミチコロンドン」を設立し、成功した。
出典先:http://www.michikokoshino.co.jp/collection/
MICHIKO LONDON KOSHINO
公式サイト:http://www.michikokoshino.co.jp
★なぜコンドームのデザインを???
友人をエイズで亡くしたことをきっかけに、エイズ撲滅活動に関わるようになる。
その一環として1992年(平成4年)、不二ラテックスとの共同により、世界で初めてとなるファッションブランドコンドームをデザインした。
★ミチコと名のつくブランドは、公式サイトを数えると12もある
出典先:http://www.michikokoshino.co.jp/product/
上記12のロゴ画像の各ブランドコンセプト!
※左上から右の順番です
- 最も旬なトレンドを取り入れるファーストレーベル
- ジーンズやアクティブな服
- パンクやB-BOYを意識した背伸びした子供服
- キュートでセクシーなレディースタウンカジュアル
- エレガントでクールなブラックフォーマル
- モダンブリティッシュスタイル
- スポーツウエアではなく、ディティールや素材をスポーツテイストにした服
- 大きいサイズのカジュアルレディース服
- 旬な雑貨のブランド
- 旬やトレンドをスポーツテイストに取り入れた服
- カジュアルラインの専門店用のレーベル
- メンズカジュアルラインの専門店用のレーベル
★最近の活動
先月、ラフォーレ原宿でイベントをしたようで、
1983年に発表した空気で膨らませる「インフレータブル」シリーズを復刻販売した。その時駆けつけた、次女ジュンコと2ショット!二人とも、70代と思えない若さ!
出典先:http://ifckr.com/p/9BiFTgLJI8/
コシノヒロコ(HIROKO KOSHINO)
小篠弘子(1937年1月15日生まれ )
★コシノ3姉妹の長女の別の顔
昔らか絵の才能があり、現在アーティストでもある。(書画、絵画)
★ヒロココシノのデザインの特徴
デザインの特徴としては、東洋「日本」の伝統、粋と西洋のモダニズムの融合。
インパクトがあり、エレガントなデザインが特徴。
パリコレは1982年から10年間参加した。その後、復帰した。
2016年春夏コレクション
出典先:http://www.fashion-press.net/collections/gallery/19591/338339
HIROKO KOSHIN 公式サイト:http://www.hirokokoshino.com
★ヒロココシノのデザインがプチプラで手に入る?
日本を代表するデザイナーでもありながら、庶民派代表しまむらにもデザインを提供し、プチプラファッションに敏感なファッショニスタ達はインスタやブログなどにアップしてコーディネイトを楽しんでいる。
しまむら独自ブランド『HK WORKS LONDON』
HK WORKS LONDON 公式サイト:http://www.hkworkslondon.com/?xref=11
実は先月、私、購入してみました。
今年流行のガウチョパンツ。2,300円くらいでした。ヘビロテしています♪
出典先:http://www.hkworkslondon.com/ladys/outer
★その他
「COOL BIZ」のプロデューサーでもある。
コシノジュンコ(JUNKO KOSHINO)
小篠順子(1939年8月25日生まれ )
★次女ジュンコは母ちゃん似のバイタリティーと天才肌
ジュンコは姉ヒロコと同じ進路で文化服装学院のデザイン科に進む。
優秀で飛び級し、在学中新人デザイナーの登龍門「装苑賞」を最年少の19歳で受賞した。
1966年、東京・青山にブティック「COLETTE」をオープンさせる。
1987年初めてパリコレに参加する。
★コシノジュンコのデザインの特徴
アバンギャルドで前衛的なインパクトがあるデザインが特徴。
1998年パリ・コレクション
出典先:http://www.asahi.com/fashion/beauty/TKY201109040121.html
★意外な経歴
フジテレビの「オレたちひょうきん族」に登場する「アミダばばあ」の衣装デザインを担当。
最近ではエイベックス所属のアイドルグループの「BiS」に正式加入したという、活動も!この写真は2年前のジュンコ74歳の時というから驚きである。
出典先:http://www.fashionsnap.com/news/2013-10-29/bis-koshinojunko/gallery/
★その他
同期に高田賢三(ケンゾー)、松田光弘(ニコル)、金子功、北原明子ら、著名なファッションデザイナーがいる。弟子に山本寛斎がいる。
母アヤコを書いた本をジュンコも出している。
「人生、これからや! 」「お母ちゃんからもろた 日本一の言葉」
コシノ3姉妹の生家がコシノギャラリーとしてオープン
朝ドラを記念して、3人の育った「コシノ洋装店」がギャラリーとなりました。
場所は大阪岸和田市です。
出典先:http://www.fashion-press.net/news/2360
ギャラリー公式ブログ:http://koshino3shimai.blog.fc2.com
3姉妹?4姉妹?デザイナーファミリー
ファッション(洋装)を仕事にし、
仕事に没頭した母アヤコの背中を見て育ったコシノ3姉妹。
若々しい母も加えて4姉妹?なんて言われたこともありました。
母は何も言わず、姉妹の自主性を何よりも尊重してきました。
時に厳しく、涙を心の中に飲み込んで心を鬼にして突き放した時も。
反発しつつ、忙しい母に甘えられなかった娘達。
誰に言われるでもなく、結局母の背中を追いかけていました。
そして3姉妹共に世界的に有名なデザイナーになりました。
コシノ家はみんな、母譲りの強い精神力を持っています。
そしてこれこそがミチコロンドンのルーツです。
70代になっても精力的に活動する、コシノ3姉妹のデザイナー魂に拍手!
出典先:http://www.doimoi-collections.co.jp/blog/1/2015/06/17/コシノ家%E3%80%80三人三様の天才デザイナー/
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